大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)978号 判決

上告人

高野その

右訴訟代理人

北島孝儀

被上告人

尾崎稔

被上告人

尾崎茂美

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人北島孝儀の上告理由について

原審が認定した事実は、要するに、(1) 一審被告光永一美は上告人方居宅前の犬舎で闘犬用の土佐犬を飼育していたところ、昭和五〇年三月二二日午前一一時ころ、光永の雇人の黒田石男が、直前に清酒二合ほどを飲んで酔つていたにもかかわらず、光永が不在であり、そのため同人に代り保管にあたつていた上告人も所用で外出している間に、右犬舎から本件土佐犬(雄三歳体重約五〇キログラム)を連れ出したため、おりから闘犬大会に備え特別訓練を受けて興奮しやすい状態にあつた右土佐犬が、附近路上を通行中の被上告人らの長男歩(当時二歳)を襲い、同人を死亡させるという本件事故が発生した、(2) 闘犬用の土佐犬は、体格や体力が通常の飼犬とは比較にならないほど強大で性格も獰猛であつて、その管理については他人の生命身体等に危害を加えることのないよう格段の注意を払わねばならないのに、飼主の光永は従前からこれを怠り、本件事故に至るまですでに少くとも一〇回にわたり、同人飼育中の土佐犬が通行人や他人の飼犬を襲う事故がくりかえされていた、(3) 上告人は、光永が右のような危険な飼育管理をしていることを知りながら、自己の所有にかかる居宅の一部を右土佐犬の飼育場所として提供し、犬舎の掃除、餌の準備、光永不在中の保管などを担当して、同人のする土佐犬の飼育に協力していた、(4) 黒田は前に光永及び上告人に無断で土佐犬を連れ出したことがあり、上告人が外出中犬舎の施錠を十分にしておかないと、黒田が本件土佐犬を連れ出し事故を起す危険があつたのに、上告人は、本件土佐犬の入つていた犬舎を差込錠一個があるだけで誰でも容易に犬を連れ出すことが可能な状態で路上に置いていた、というものであるところ、右の事実の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし正当として是認することができる。右事実関係のもとにおいては、上告人は、他人の生命身体に危害を加える可能性の大きい闘犬について、その飼主が危険防止のための十全の措置をとらず事故が続発していることを知りながら、その飼育の場所を提供し、かつ、日常その飼育に協力するなど飼主のため多大な便益を提供していたのであるから、少くともみずから右闘犬の保管にあたる場合においては、右の便益の提供の結果として生じる他人の生命身体に対する危険の発生を防止すべき高度の注意義務を負つていたものということができるところ、黒田を含む第三者が容易に本件土佐犬を連れ出せる程度の施錠装置しかない犬舎を路上に置いたまま漫然外出した上告人には、右の注意義務の違反があるものというべく、同人は歩の死につき民法七〇九条の不法行為責任を免れないものと解するのが相当である。これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(横井大三 伊藤正己 寺田治郎 木戸口久治)

上告代理人北島孝儀の上告理由

一、原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背がある。

本件における上告人の責任の有無については民法第七一八条二項を適用すべきであるのに原判決は強いてこれを回避した。先づ茲に法令の違背がある。のみならずこの種事件の先例である昭和三〇年四月一九日最高裁判所第三小法廷判決(昭和二八年(オ)第八四八号、民集九・五・五五七頁)の判旨と相反する判断をした。

即ち本件における上告人はその実体(犬の所有者は光永一美であり而も上告人は光永の妻ではなく僅か五年余同棲したに過ぎない間柄)からみて単なる占有補助者に過ぎない。仍つて上告人は民法第七一八条第二項の保管者には含まれないので責任を問われるものではない。

そして又右と全く同種事案について横浜地方裁判所が昭和三三年五月二〇日に言渡した判決がある(昭和三一年(ワ)第八〇三号、下級民集九・五・八六四頁)。

右によると「夫が犬を所有している場合の占有者は夫でありその妻は事実上保管することがあつても占有補助者に過ぎず民法七一八条二項の占有者に代る保管者には占有補助者は含まない」と判示しており該判決も亦前記最高裁判所の判旨に則し占有補助者として免責を認めている。然るに原判決は右判旨に相反する判断を示したのみならず強いて民法第七一八条二項の適用を回避した。これは判決に影響を及ぼすべき明らかな法令違背である。

二、原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違反がある。

原判決は本件につき民法第七一八条二項を適用しないで同第七〇九条を適用した。而も同七〇九条を適用する前提として先づ上告人の過失を認定しているがその認定事実には余りにも経験則に反した飛躍があり且つ独断的とさえ思われる内容がある。それは判示理由二の(二)の(1)の(Ⅴ)の(3)に示されている判断内容である。

即ち右(3)の前段部分において「叙上の認定にかゝる各事実を綜合すると……ひいては本件事故を発生せしめたと解するのが相当である」という認定事実は正に起訴状の公訴事実にもひとしく当然刑事事件としても問擬できる程度の重大な過失の内容になつている。然し乍ら本件において警察当局は光永に対してはもとよりのこと上告人に対しても毛頭も斯かる意向のないことを示した。この点において原判決は認定内容としての客観的事実から当然考えられるべき帰結としての判断を示しておらず極めて独断的なものがある。

更に同(3)の後段において「高野(上告人)は光永が本件土佐犬を前叙斗犬大会へ出す積りであること……高野において同人の不在中黒田が再び来宅して本件犬舎の扉を開け本件土佐犬を連れ出すのを予見し得たと認めるのが相当である」という認定に至つては飛躍的独断も甚だしく正に経験則に反する推認としか云えない。

原判決が被上告人等の為に光永に対しては民法七一八条を又上告人に対しては同法第七〇九条を各別に適用し然る上で両者に対し共同不法行為として連帯責任関係に立たせようとした意図は推察できるが然しその為に上告人に対し同第七一八条二項の適用を態々排除して同七〇九条を適用するという技巧を構じたことは間違いである。そしてこれは亦同時に重大な事実の誤認にも繋がるものがある。

本件の実体は上告人が光永の所有犬につき単なる占有補助者に過ぎないということである。然るにこの事実を前提にしなかつた原判決は前記二点において夫々違法がある。

仍つて破棄の上相当の裁判を求める。

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